欽ちゃん嫁(萩本澄子)の顔画像や馴れ初めは?【24時間テレビ2024】

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テレビ
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こんにちは、すがらです!
8月31日放送の24時間テレビ2024で特別ドラマ『欽ちゃんのスミちゃん』が放送されますね!

今回は超大物芸能人・萩原欽一さんの奥様であるスミちゃん(萩本澄子さん)にスポットを当てたドラマのようですね。

萩本澄子さんは欽ちゃんを陰で支えることのみに注力していた方ということで、欽ちゃんの全盛期にも『結婚している』『お嫁さんがいる』という程度の認知度で、世間にはほとんど知られていない存在だったのだそう。

そんな萩本澄子さん役をドラマでは波瑠さんが演じられますが、実際の澄子さんの顔画像や欽ちゃんとの馴れ初めが気になりますね。
それでは早速見ていきましょう!

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欽ちゃんの嫁・萩本澄子、どんな人?

萩本欽一さんは全盛期、1週間の出演番組の総視聴率から『視聴率100%男』と言われていたそう。

ということは朝から晩まで収録が目白押しでかなり多忙であったことがうかがえますね。

今ではテレビだけでなくYouTubeやTikTokなどのSNS、Amazonプライムやネトフリなどの配信サービスオリジナル番組などもあるので、こうした異名を取ることはより難しくなってしまっていますね。

しかし、CMからバラエティー、ドラマまでとさまざまなメディアに登場する芸能人の方は現在もいらっしゃり、『睡眠時間は3時間』なんて話を聞くことも。

そうなると当然、家に帰ることも難しいわけですが、萩本澄子さんはその多忙さに文句一つ言わず生涯をかけて支え続けたのだと言われています。

欽ちゃんと萩本澄子さんがご結婚されたのは1976年
欽ちゃんの番組はどれも名前を聞いたことがあるものが多くありますが、1975年に『欽ちゃんのドンとやってみよう!(欽ドン!)』が放送されて1年というところなので、ご結婚された時にはすでにかなり多忙を極めていたのではないかと思われます。

結婚して一緒の家に住んでいるはずなのに、パートナーが帰ってこない。
そんな状況に「寂しい」「もっと一緒にいて欲しい」なんて思わなかったのでしょうか?

欽ちゃんのインタビューによると、萩本澄子さんという方は『仕事優先に徹してる人』だったそう。

スミちゃんは「男は好きな仕事に突っ走るのが一番。私と子どものことは気にしなくていいから」って、ぼくを放し飼いにしてくれた。おかげでぼくは、めったに家に帰らないまま、笑いのことだけを考えていられたし、たくさんの人気番組も作れた。

 今、つくづく思うのは、スミちゃんは「徹してる人だったな」ってこと。ぼくに気をつかって「仕事優先でいい」って言ってたわけじゃない。心の底から「笑いの仕事に全力で取り組んでほしい。あなたが楽しそうに生きていることが、私にとっての幸せ」と思っていて、そのスタンスを貫いたんだよね。

出典:介護ポストセブン

子供がまだ小さかった頃、欽ちゃんが子供と遊んでいると「全然楽しそうに見えない。無理して”良い父親”の真似事なんかしなくてもいいから」と言われたというエピソードもあります。

また、欽ちゃんと会う時は必ずお化粧し、美しい自分で欽ちゃんを迎えていたという素敵エピソードもあります。

萩本澄子さんは病気が発覚してからもこのスタンスは変わらず、欽ちゃんが帰ってくる日は妹に頼んで眉だけでも描いてもらっていたのだとか。

これを欽ちゃんは『おしゃれな人だな』と思っていたそうですが、萩本澄子さんの妹さんはのちに『欽ちゃんに会うために決まってるでしょう』とツッコまれたと語っています。

『いつも綺麗な自分を思い浮かべてほしい』という気持ちだったのでしょうか。
いじらしく素敵なエピソードです。

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萩本澄子の顔画像は?

そんな素敵な奥様であられた澄子さん、どんなお顔だったのか画像を調べてみました。

出典:https://00m.in/GzJjt

画像一番左が萩本欽一さんの妻・澄子さん。
穏やかな優しい微笑みがエピソードにぴったりの印象です。

出典:https://00m.in/GzJjt

こうしてみると仲睦まじい夫婦に見えますが、実はデートしたのは1回きりなのだとか。

仲が悪かったわけじゃないよ。でも、デートは一度もしたことがない。いつだったか買い物に行くついでに、畑の中を10分ぐらい腕を組んで歩いた。「もういいでしょ」なんて言われながら。それが唯一のデート

出典:NEWSポストセブン

欽ちゃんにとって、澄子さんは『頼れるお姉さん』という感じだったのだそう。
息子さんを立派に育てあげた『立派なお母さん』でもあり、欽ちゃんを遠くからでも支えるエピソードの数々から、欽ちゃんを応援したい気持ちのまま、まっすぐな人であったんだなあという印象を受けました。

欽ちゃんとの馴れ初めは?

そんな欽ちゃんとの結婚までの道筋を調べてみると、本当にドラマや小説のようなものでした。

澄子さんとの出会いは萩本欽一さんが浅草の東洋劇場に入った時だと語られています。高校卒業後に入団しているので、18〜19歳ごろに出逢われたのですね。

その当時、澄子さんは踊り子として働いており、職場では一番人気の方だったのだそう。
東洋劇場では新入りの欽ちゃんと、すでに実力高くトップレベルの踊り子であった澄子さん。

目を合わせるのも恐れ多い存在』の第一印象であったものの、子供時代から年上に可愛がられるのが得意であった欽ちゃん、数年後には澄子さんが欽ちゃんの世話をやく関係に。

当時かなり高価だったテレビを買い与え、欽ちゃんの住む家の大家と話をつけて3畳から4畳半の部屋に替えてくれたりしたといいます。

「欽ちゃんを見ていると応援したくなる」と言って強力なサポーター役を務めていた澄子さんですが、欽ちゃんが結成したコンビ『コント55号』が一躍人気になると、なんと踊り子を辞めて姿を消してしまいました

「私とのことが誤解されて世間に伝わったら、欽ちゃんに迷惑がかかる」と思ったみたい。姿を消すことで、応援してくれたんだよね。

出典:介護ポストセブン

欽ちゃんは知り合い伝てにどうにか探し出したものの、取り合ってくれない。
どうにかこうにか逢瀬を重ね、子供ができたらまたいなくなってしまったそう。

それから電話で子供の名前をつけて欲しいと頼まれたものの、それきり行方が全くわからなくなってしまったのだとか。

困った欽ちゃんはついにテレビで結婚と子供がいることを暴露。
その当時まだ結婚はしていなかったのですが、テレビで暴露したことでプロポーズの形をとったそう。

人気絶頂の欽ちゃんをスキャンダルですっぱ抜かれて迷惑をかけたくない、きっとそんな思いで身を隠した澄子さん、テレビで欽ちゃんの発言を聞いてどんな思いだったのでしょうか。

それからまた居場所を探して、あらためて結婚してくださいって頼んだ。スミちゃんは「芸能人の奥さんなんてなりたくない。あなたはそれで満足かもしれないけど、私にとってはいい迷惑よ」って嫌がってたけど、そこをなんとかって結婚してもらった。

出典:介護ポストセブン

そうして欽ちゃんと澄子さんが結婚したのが1976年。
暴露がスキャンダル扱いされて仕事が続けられなくなってもいい、という覚悟までしたと言いますが、その後もこの件で番組降板などはなく、変わらず忙しい毎日を送られたようです。

リアルタイムで見ていたファンの方々の反応がどうなったのか、非常に気になりますね。

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24時間テレビ2024・欽ちゃんのスミちゃん

ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は欽ちゃん嫁・萩本澄子さんについて調べてみました。

まとめ
  • 萩本欽一さんと妻・澄子さんの馴れ初めは浅草
  • 萩本澄子さんは当時一番の踊り子で、欽ちゃんは東洋劇場に入ったばかりの新入りだった
  • 年上に可愛がられるのが得意で、人気になる前も澄子さんにもテレビを買ってもらったり広い部屋に住めるよう大家さんに交渉してくれた
  • 欽ちゃんが人気になると澄子さんは踊り子を辞めて姿を消し、子供ができてからも失踪した
  • 澄子さんが見つからずに困った欽ちゃんはテレビで『結婚してる、子供もいる!』と暴露し、これが澄子さんへのプロポーズになった
  • 正式に結婚したのは1976年、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の放送から1年経った頃
  • 顔画像はたおやかな優しい笑みを浮かべる『立派なお母さん』。

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